“映画づくり、人づくり、まちづくり”

シナリオの長い道のり

『幸福な結末』脚本対談

映画『幸福な結末』のシナリオは、二年の歳月をかけ18回も生まれ変わりました。
そんな完成までの「長い道のり」を、監督と脚本家のお二人が熱く語り合います。

※ページ内記事提供:“我がまち大好きフリーマガジン” 三河映画バフ(2012年5月発行)

岩松あきら(監督)× 清水雅人(脚本)

「2007年・春 〜 2009年・秋」

岩松(以下:岩) 2007年の春に私の企画のホン(※注1)を書いて欲しいとお願いして、その頃はブラック・インディ!(※注2)のことはまだ全然想定してないですから、短編映画のつもりでした。基本的には私が要望・アイディアを出して、清水君が書き直していくというスタイルだったけど、あーだこーだ言われて腹立たなかった?

清水(以下:清) 多分・・・(汗)。でも、今回は脚本に徹しようと思ってましたから、お互いに今までは監督兼脚本でやってきてこういう形は初めてだったでしょ。私はもう監督の要望を100%聞こうと最初から決めてました。

 でも最初の1年くらいは、あまりうまくいかなかったかなぁ。

 そうですね、監督のアイディアは基本的な設定とか、「こういうテーマを入れて欲しい」というものだったので、それを聞いてそこからはあまり相談せずに1人でストーリーを作ってシナリオまで書いてしまっていたので、監督のイメージから離れてしまってたんでしょうね。

 なんとなく上手くいかない感じで6稿くらいまで行っちゃって。

 私もイマイチ自信がなかったですしね。そこまでは、前半と後半が真っ二つ割れているという非常に図式的な構成だったでしょ、前半がシリアス、後半がコメディという今よりもっと構成的に挑戦した内容だった。

 私は構成から入る人間なんです。主人公の自分自身の自分像と他の人から見る像がまったく違う、それを前半と後半でシリアスとコメディで繰り返して見せるというアイディアだったんだけど、でも完全に行き詰まったね。ところが、2008年11月に、そこからブラック・インディ!参戦を目指そうということになり、急遽シナリオをあげなくちゃいけないとなって、それまでの反省で、シナリオを書き出す前に話し合って箱書きをしようと。それで、黒澤明監督は毎回シナリオ合宿していたとか、山田洋次監督は必ず1人ではシナリオ書かないとかそういうことを読んで、近場の温泉に1泊して4人で箱書き合宿しました。あれは、2008年の12月だったね。

 あれはハードでしたよ。せっかく温泉に行ったんだから半分くらいは遊びかなと思ってたのに、もう全然遊びなんてなかった(笑)。

 チェックインしてから、風呂と食事の時以外はずうーっと部屋にこもって深夜3時くらいまでやったもんね。朝も8時にごはん食べてから、10時のチェックアウトまで続きをやって、さらに帰り道に喫茶店に入って昼過ぎまでやったという。

 その合宿までに私がとりあえずストーリー構築して箱書き案を作って、それを元に監督がボードとシーン割を書いた付箋を用意してきて、それを貼ったり書き加えたり順番を変えたりしながら検討したという、会議のお手本みたいな感じで。

「2009年・冬〜夏」

 その7稿で、基本的な構成はこれでいいだろうと判断して、あとはとにかく打ち合わせと書き直しの繰り返しでした。

 そうですね、えーと、2008年末で7稿があがって、8月までで14稿までいってますから、大体1ヶ月ごとに書き直した感じですね。

 その間に、回りの人に読んでもらったりして、意見や感想ももらいました。ストーリーや設定でひっかかるところは徹底的になくしたかった。誰もがつまずかずにストーリーに没頭できるというのは、絶対条件なのでね。

 豊田の演劇界で活躍する脚本・演出家の石黒秀和(※注3)さんにも意見をもらいました。

 石黒さん、ものすごくちゃんとかかわってくれて、自分でのストーリー案も作ってきてくれたりして、私の自宅で朝から夜までかけてシナリオ検討しました。

 岩松さんのすごいところは、そうやってどんどん人を巻き込んでいくところですね。この人熱意があるって思うと、迷いなく「手伝って欲しい」って言えちゃう。普通はちょっと躊躇するもんですよ、特に同じ土俵の人には。

 いい映画を創る、いい作品にするためになることなら、なんだってしようと思ってるだけだよ。シンプルで、当然な思いです。

 それがなかなか出来ないんですよね、どうしても楽な方に流れてしまって、挑戦する前に「多分無理だな」とあきらめてしまうのに慣れてしまうんですよね。

 シナリオの話に戻りましょう。14稿までの改稿はどんな感じでしたか?

 アイディアには2種類あって、その場そのシーンだけの強度をつけるためのアイディアと、そのアイディア1つで作品全体の雰囲気がばぁーっと変わるようなアイディアがある。9稿の時はそのばぁーっと変わるようなアイディアが2つあって。

 あの稿は1つステージが上がった感じがあったね。読んで1人で乾杯したもの。

 それで、監督からすぐ「いいよ」と電話がありまして、それはね・・・、こういうことあんまり言わないんですが、あの電話はうれしかった。そういうアイディアが生まれるのってきっかけは些細なことなんです。

 でも、そういう些細なことがきっかけになるには、やっぱり四六時中そのことを考えてないと見逃してしまうよね。そういうアイディアが出てくるまでには、無数のボツになったアイディアの屍が累々とあるわけで、いかにたくさんアイディアを思いつけるかということがある。

 あとは、自分との戦いですよね。古い自分との戦いというか。一応、毎稿「これがベストだ」と思ってるわけですから、基本的にはもう直したくないわけです。色々意見を言われても「わかってないなぁ」となってしまう。これって「これよりいいアイディアは思いつかないかもしれない」という不安の裏返しなんですよね。自分が考えたアイディアを白紙に戻して、それよりいいアイディアを考えようとする気持ちに持っていくというのが実は一番難しい。

 「まだもうちょっと」「もう少し」と言いながら、集中力を切らないように改稿を繰り返していった感じだったね。まだまだこれで満足してはいけない、まだもっといいホンになる、と私も自分に言い聞かせて改稿をしてもらってましたね。

 なんでも達成感って必要なんですが、でも達成感の後は必ずモチベーションは下がるわけです。この時期は、改稿して、みんなで集まって、意見を言い合って、じゃあ次はいついつまでに直してっていうパターンの繰り返しだったんですが、打ち合わせが終わったら一旦机の奥にしまってね、見えないように(笑)、それで、しばらく放っておいて、締め切り3日前くらいから慌ててやるっていう感じでしたね。

 でも、「もう書けない」とは言わなかったねぇ。

 そうですね、まだまだぜんぜんダメだという思いはやっぱりありましたからね。それに、みんなの意見を聞きつつ、でも「この中では俺が一番面白いシナリオ書けるんだ」という傲慢な気持ちもね、あるわけです。まあ、そういう気持ちがないと書けないですしね。だから、「俺が書くしかないんだ」と思ってましたから「もう書けない」とは1回も思いませんでしたね。締め切りをもうちょっと延ばして欲しい、とはいつも思ってましたけど(笑)。

「原点」

 『幸福な結末』は、監督の企画を私が脚本化してるわけですが、そもそもこの企画はどれくらい前に発想してるんですか?

 もう10年くらい前じゃないかな。最初は、投身自殺をしようとした男が飛び降りて落ちていく間に、回想としていかに自殺に至ったかを見せて、途中で見知らぬ少女―いや最初は彼女だったかな―が現れて「それ間違ってたんじゃないの」と言われて、そこからオセロの黒が白にかわっていくように、すべて悪い方に解釈していただけの思い違いだったかもしれないという回想を見せて、でもその瞬間地面に叩きつけられると。でもその死に顔が笑顔だった、というアイディアでした。だけど、その後の10年で大人になったというか、経験を積んだというか、ハッピーエンドにしたいというのも当初の発想から変わったところですね。みんな悲劇は観たくないだろうと、ハッピーエンドを見せたいとね。

「アイディアとキャラクター」

 もうこれだけ一緒にやってると、どのアイディアをどっちが思いついたかはかわからなくなってますね。

 そうだねぇ、今の結末はどの段階で思いついたんだっけ?

 2稿か3稿くらいじゃないですか? 最初は主人公は絵本作家じゃなかったですからね。

 そうだ、途中から絵本作家にしようとなったんだ。それで、絵本作家がいかにして自殺をしようと思うに至るかを考えた時、盗作騒ぎがあってという設定にしたんだ。

 やっぱり最後はあっと言わせたいというのがあって、だから少女は誰なのかという結末を思いついた時には、これはいけるなという感触はありましたね。タイトルもそこから『幸福な結末』に決まりましたし。

 大体、なんで男が少女に生まれ変わるのかというのは、最初根拠がなかったんだよね。

 そうですよ、40歳男が主人公じゃむさくるしいだけだから、少女を出そうって言ってましたもん。

 自分自身と恋愛をする、っていうモチーフはあったけどね。まずは、「自分自身を好きにならないと他人も愛せない」というメッセージはあったんです。それと、今思い出したけど、子供の頃、家の裏庭が林になってて、そこをいつも眺めながらね、いつか見知らぬ女の子が現れて僕を助けに来るんじゃないかっていう妄想をね、ずっと持ってましたね。そうだ、そこからきてるんだなぁ。

 それ、ものすごい妄想ですねぇ。一番最後の結末、これは言えませんが、その結末は企画当初からありましたけど、それプラス少女は誰だったのかという結末を思いついたのは大きかったと思います。

 そうだね、そこだけは変わってないね。

 たくさんのキャラクターの関係の中でも、主人公と母親、主人公と息子という関係が軸になってるんですが、その3世代の関係は描きたいというのはあったんですか?

 母親はね、これは最初から何度も言ってるけど、世界は母性で救われるというかね、母性がすべての基本なんだという思いがありますね。母性の欠如が色んな問題の根本にあるんじゃないかという。息子については、主人公が母親に捨てられたという思いを結局息子にもさせてしまう、それで息子を励ますことによって自分も立ち直っていくというのがドラマとしていいんじゃないかと、そう思って出したいと。

 これは意図してなくて、書きながら気がついたんですけど、強いのは女性ばかりで男はみんな弱いっていう一貫性があるんですよね。元妻も知らないうちにああいうキャラになってましたし。里見のキャラなんかも僕は好きなんですよ。「俺には才能がないんだ」って言っちゃうあの青臭さというか弱さというか。

 里見はどうやって出てきたんだっけ?一応盗作疑惑の絡みで出てくるわけだけど。

 いや、ぽっと浮かんだんだと思いますね、作話上の必然性というよりも、キャラが先にあったように思います。そうやって、ぽっとというかぬっとね、理由もなく現れたキャラの方が何か存在感があるように思いますね、ここでこういう人物が必要だからと作り出したキャラよりも。母親なんかもああいうちょっとふしだらなね、おじさんとの情事の後に立て膝ついてたばこ吸っちゃうみたいな情景がまず浮かんでました。優しいだけのお母さんじゃなくてね。

【脚本対談/終了】

▲岩松 あきら(監督)
本職は小学校の教員。高校時代から自主映画の制作を始め、国内・海外の映画祭で数々の入賞を果たしている。

▲清水雅人(脚本)
『幸福な結末』制作時は、市役所の職員として勤務。仕事の傍ら、豊田を中心に映画制作の活動をするM.I.F.(ミフ)を主宰している。

※1 ホン = 脚本。
※2 ブラック・インディ! = 映画『幸福な結末』が参戦する、約2年間の長い年月を“完全自主制作体制”にて企画・制作から完成までを行う、究極の次世代映画祭。
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※3 石黒秀和 = 富良野塾出身。定職を持ちつつ、豊田市を中心に演劇の作・演出活動をしている。